★クイズの続き★これら2つの謎の答えを、私たちが知ったのは偶然でもあり、必然でもありました → WALK


文学を体験する

行った人しか知らない

道後温泉の秘密


作品:『坊っちゃん』夏目漱石

日本近代文学の原点。中学生で初めて読んだときは、表紙カバーにある紹介文どおりに、東京からやってきた青年教師の青春物語として表面的なことしか理解できませんでした。ところが、大人になって読み返すと、地方(田舎町=ヨーロッパから見た日本)へのアイロニー(皮肉)や、学校(日本)という組織の息苦しさが手に取るように読み取れ、二重の意味でおもしろく感じます。100年間、読み継がれている理由ですね。


道後温泉 文学旅行

 ここで取り上げるまでもなく、すでにいろいろなところで書き尽くされています。

 

 たとえば、建物は国の重要文化財に指定されているとか、東側にある又新殿棟はVIP専用だったので御成門があるとか、『伊予国風土記』には聖徳太子が絶賛したと記されているとか、天智天皇と天武天皇の愛人だった額田王も立ち寄ったとか。

 そんな旅行ガイドのような話を書き連ねても〝なんだかなぁ〟となるだけでしょう?

  なにせ、これは文学旅行なのですから。

 

道後温泉 文学旅行

  とはいえ、夏目漱石とのゆかりについても、ネットを泳げば簡単に探り当てられます。いわく……

 ①『坊っちゃん』のなかでは、道後温泉は「住田の温泉」として登場する

 ② 有名な「坊っちゃん泳ぐべからず」の木札は、残念ながら女子は見ることができない(「神の湯」の男子浴室に掲げられている。考えてみれば当然か……)

 ③ 明治28年に漱石が松山中学の英語教師だった当時はまだ木の香りが漂う新築だった

 ④ 漱石は当時、病気療養中の正岡子規や高浜虚子と一緒によく通っていた

 ⑤ 漱石が利用した3階には、松山中学の同僚だった〝うらなり〟や〝山嵐〟らの写真が展示されている

 ⑥ 道後温泉で貸し出される手ぬぐいは、小説にあやかって赤くデザインされている

 

道後温泉 文学旅行

 ……などなど、いずれも事実でした。

 

 以上のほかにも、各方面での〝ゆかり〟は数多く、さすがは日本三大古湯の道後温泉です。

 

 現地へ旅行しようとすれば、誰もが多くの情報を入手して行くでしょうから、夏目漱石の文学旅行といっても、ネット上で何もかも言い尽くされている状況かもしれません。

 

 さて、文学旅行として、どう書いたらよいものか。

 何か特別なことを言わなきゃ……。

 

 というわけで、僭越ながら、ここでも出来ることといえば「体験」なのです。

 

……と、ここで女性の方に朗報です!!

 

 上記 ② のように、名物「坊っちゃん泳ぐべからず」の警告木札はこれまで男湯でしか見ることができませんでした。それが平成31(2019)年から5年半に及ぶ保存修理工事によってお風呂の構成が変わり、女湯でも見られるようになったんですっ!!

 

 そのからくりは……

 

 左の図表をご覧ください。道後温泉のお風呂は、今回の保存修理工事によって、左図のように変更されたんです。

 

 ↑これまで神の湯には、男湯が2カ所あったんです。今回の工事で、そのうちの1つを女湯に変更したのですが、その際、男湯にだけ掲げられていた「坊っちゃん泳ぐべからず」木札を残したまま女湯へ変更した、というわけなんです。

 

 ……さて、さて、みなさん、ちょっと奇妙に思いませんか? いったいなぜ、このような変更が行われたのでしょうか? 浴客男女比率に変化があって、それに対応したのでしょうか? う〜ん、たぶん違うよなぁ。。。男湯の数を減らす理由は何でしょうか? 男性である坊っちゃんへの警告なのに、木札を移動させなかったのはなぜなのでしょうか ──?

 

 ここからは小生の推測です。おそらく例の木札を女性の方々にもご覧いただけるように、わざわざ変更したのでは……と思うわけです。いや、わざわざというよりも、今となっては、男湯だけが2カ所で、女湯よりも多いというのはジェンダー云々のご時世よろしからぬ、数だけでも同じにそろえよう……。ん? こりゃあ、一挙両得じゃないか!

 

 とまぁ〜、冗談はともかく、例の警告木札が女湯でも見られるようになったことは、歓迎すべきですよね。

 でも、女性の立場になってみると、ちょっと妙な気分にもなるのかなぁ。男性は入ってこないはずなのだから。。。


都市伝説か? 今も残る

アカデミズムへの影響


道後温泉 文学旅行

 さて、閑話休題。

 前述した「体験」の話に戻りましょう。そこにしか私たちの強みはありませんから。。。

 

 結論から言ってしまいます。

 

 道後温泉で使われている石けんは、ミカンの香りがするんです(笑)。

 これはネットで探しても、なかなかたどり着けない情報だと胸を張る小生……。だいたい道後温泉を「石けん」で検索する人は少ないはずですから。

 

 それにしても、さすがは愛媛県、実に最適なチョイスです。

 抵抗のある方もおられるかもしれませんが、自前のソープ類ではなく、できれば備え置きの石けんを使ってみてください。風呂から出てもしばらくミカンの香りに包まれること、請け合いです。

 

 甘く爽やかな香りをまとったら、3階の個室へ行きましょう。2階の大広間で老若男女混ざるのも楽しいですが、ここは個室利用をお奨めします。そこで、坊ちゃん言うところの「女が天目へ茶を載せて出す」を体験しましょう。2階大広間でも茶菓子の提供はありますが、どうやら種類が違うようです。個室では〝坊ちゃん団子〟が出てくるので、色とりどりの串を楽しみましょう。そして、冬でなければ戸を開けて外気を感じてください。1階の風呂場から、桶の当たる〝カコーン〟という抜けた音が聞こえてきて、何とも言えない風情に酔うことができますから。この情感は、東京ではもう味わえません。

 

 ところで、いつだったか、ある理系の大学教授と飲んでいて、こんなことを教えられたことがあります。

 本当かどうか、今でもは定かではないので、どなたか教えてください。

 

 その大学教授は、こんな謎かけをしてきたのです。

「あなたのようなド文系は、博士号がなかなか取れませんね。それは、なぜだか知ってますか?」

 

 今では積極的に取らせるよう、どこからか指導されているとも聞きますが、つい最近までは文系での博士号は本当に珍しいことで、多くの場合、例の〝単位取得退学〟でした。

 

「さあ、ちょっと分かりません。なぜなんです?」

「それはね、夏目漱石が博士号を持ってないからだよ」

 

 ……嘘だろ、と思いました。

 

 顔にそう書いてあったのか、教授は真顔で「本当だよ」と付け加えました。

 

 文系で博士号が取れなくても、これまで世の中は回っていたので、それほど大きな問題ではないかもしれません。ただ、そこに漱石先生が持ち出されるのは唐突感があります。

 学生からみれば、アカハラ的にも、経済的にも、たまったものじゃないでしょう。それが理由?と、学術評価の基準に疑念も生じてきます。まったく、そんなことにこだわっているから全国の大学から文学部が消滅していくんだよ……

  おっと、これは根拠のない戯れ言です。

  ……しかし、この話がもし本当だとして、果たして漱石先生は草葉の陰で何と思うでしょうか。きっと胃に苦い痛みを感じているに違いありません。これも根拠はありませんが。

 

 この話、たとえば森鷗外が原因だと言われていたら、本人はどう感じるでしょうか。きっと、さもありなんといったふうに、草葉の陰でも微動だにしていないのではないでしょうか。繰り返します、まったく根拠はありません。もともと医師だったこともあって、鷗外さんは文学の博士号を持ってないのでは?(……と思いきや、これが持っているのです、当然ですよね)。ただ、そんなふうに考えていくと、文系の博士号が取りにくい理由が漱石先生で良かったように感じてしまうのは不思議です。やっぱり、のけぞるようにしてふんぞり返っている写真ばかりが遺っている鷗外さんより、博士号を持っていない(正確には辞退した)漱石先生のほうが好もしい。

 根拠は……もう繰り返さなくていいですよね。